中山道のちょうど中間地点とされる「宮ノ越宿」にある「道の駅 日義木曽駒高原」は、観光客だけではなく地元の人にも人気。木曽の美味しい朝採れ野菜や地酒など、季節ならではの美味しいものがいっぱいあります。
五街道の一つ、中山道とは?
中山道 と書いて「なかせんどう」と読む街道は、江戸時代に整備された五街道の一つで、江戸の日本橋から京都を結ぶ街道です。特に今の長野にある 木曽川 に沿った峠は険しかったこともあり、この辺りは 木曽路 とも呼ばれています。
そんな中山道には宿場が67箇所あり、ほぼ中間にある 木曽駒高原 の麓 、第37宿「宮ノ越宿」に、今回ご紹介する【道の駅 日義木曽駒高原】があります。でも「日義」って何?と思いませんか?
【道の駅 日義木曽駒高原】の名称にある「日義」は「日+義」
道の駅のご紹介をする前に、少しだけ歴史のことを。訪れる際に、知っておくと楽しみ方も変わると思います。
「日義(ひよし)」は今でもここの地名(住所)でもあるのですが、その由来は、平安時代 まで遡ります。時は 源平合戦 の真っ只中。
「日義」は、当時の名将 木曽義仲 からきています。源氏として埼玉で生まれ、「朝日将軍」とも呼ばれていました。だから、朝日の「日」+ 義仲の「義」で「日義」なのですね。
なぜ名字が「木曽」? なぜ「朝日将軍」? なぜ「木曽駒」?
でも、なぜ埼玉に生まれたのに木曽へ?名字も、なぜ「源」ではなく「木曽」?これを探ると、義仲の人生は壮絶であったことがわかります。
簡単にいうと、叔父に殺されかけて、逃げた場所が木曽だったんです。
義仲の父親が、その兄(義仲の叔父)と対立し、源氏同士で合戦に。そして、父親は叔父の息子に殺されてしまいます。当然、叔父も「あいつの息子(義仲)も殺せ」と言う。
その殺害を命じられた武将が義仲を見つけ出しますが、この時、義仲はまだ2歳。こんな幼子を殺すなんて…と躊躇した彼は、義仲の乳父(乳母の夫)に逃すように密かに託しました。
その乳父が木曽の武将 中原兼遠 。かくまった場所が、当時、木曽にあった 朝日村 だったから、朝日将軍、旭将軍と呼ばれるようになりました。ちなみに、乳父の娘が「巴御前」です。
そんな義仲は、巴とともに今や木曽路の有名人。歴史の情報収拾もこの【道の駅 日義木曽駒高原】でできます。国道沿いにあり、分かりやすい立地。とても広々とした駐車場があり、いつも賑わっています。
【ささりんどう館】には地元の特産品がいっぱい!
【道の駅 日義木曽駒高原】のメイン施設は、【ささりんどう館】。「ささりんどう」は漢字で書くと「笹竜胆」。
「リンドウ(竜胆)」は晩秋に藍紫の鐘状の花を咲かせる野草で、葉が笹に似ているので「ささりんどう」とも呼ばれます。
リンドウの葉を下向きに5枚並べ、上に花を三つ置いた家紋は、義仲が木曽で挙兵した際の家紋です。今では「源頼朝の家紋」と言われるようになりましたが、実際に頼朝が使っていたのかは不明です。
地元の採れたて野菜
【ささりんどう館】の一番の見所は、やっぱり産地直送の 生鮮野菜!朝採れ野菜がズラ〜っと並んでいます。この辺りは木曽駒ケ岳や御嶽山の自然、また木曽川の水源に恵まれており、本当に水が綺麗で野菜も美味しいんです。
夏はトウモロコシが大人気で、冬はキノコがうまーい!大きなナメコ、ぷっくりとした椎茸、ヒラタケもあります。また、この地域ならではの 権兵衛芋 という山芋も、粘りが強くて美味しいです。そのほかにも色々な野菜があるので、ついついあれこれ買いたくなってしまいます。
季節ものが売られているので、いつも同じものがあるとは限りませんが、全部美味しいことは間違いありません。