2級ファイナンシャル・プランニング技能士資格を持ち、資産運用アドバイザーとしても活躍する俳優の崎本大海さん。

“慶應卒の元子役”が400万円の借金を背負ったワケ「しょうがないか…と開き直っていた」
(画像=『女子SPA!』より引用)

崎本大海さん

 2022年4月には著書『もうお金で悩まない』を刊行し、SNSやブログでもマネーリテラシーの啓発を熱心に取り組んでいます。

 背景にあったのは、崎本さん自身が借金に苦しんだ20代の経験。数百万円もの借金を抱えていた崎本さんは、30代でどう人生を立て直していったのか。子育て世代に向けたメッセージと共に、その半生を伺いました。

愛車・ポルシェのガソリンが入れられなかった…

“慶應卒の元子役”が400万円の借金を背負ったワケ「しょうがないか…と開き直っていた」
(画像=『女子SPA!』より引用)

17歳の崎本さん。当時は都内でも有数の進学校である海城高校に通いながら俳優業を継続していた

――著書『もうお金で悩まない』の冒頭では、子役時代から借金などに苦しんだ20代。そして、自身の生活設計を見直した30代の現在までを振り返っていました。当時はどのような感覚で生活していたのでしょうか?

崎本大海(以下、崎本):何だろう、自分が自分じゃないというか。収入と支出の管理とは程遠かったですし、貯蓄や将来設計についても完全に上の空だったなと思います。ポルシェに乗っていても、ガソリンが入れられず彼女に「ガソリンメーターがゼロになっている! なんで早く言わないの!」と怒られたり、今思えば恥ずかしい経験でしたね。身の丈を超えてお金を使っていたし、常に足元に落ちている小銭を探すような、所在なく生活している感覚でした。

――6歳から芸能界へ身を置いていると聞きました。子役として大河ドラマ『徳川慶喜』で主演の本木雅弘さんと共演するなど、中高生の時代までの貯金もあったのかと思います。子役時代のギャランティは、どのように管理されていたんでしょうか?

崎本:当時のギャラについては、母親が管理してくれていたんだと思います。実は、自分自身ではよく分かっていなかったんですよ。子役時代は、基本的にはお小遣いをもらっていて、あとは、どうしても欲しいものがあるときだけイレギュラーにもらえるくらいで。

 贅沢な暮らしをしていたかと言われれば、けっしてそうではなかったと思いますね。高校卒業後は、慶応義塾大学法学部へ進学したんですけど、初年度の学費は自分のギャラから払いました。たぶん、当時あった僕の貯金を丸ごと学費に当てていたのかなと思います。

宵越しの銭は持たない。開き直っていた借金生活

“慶應卒の元子役”が400万円の借金を背負ったワケ「しょうがないか…と開き直っていた」
(画像=『女子SPA!』より引用)

20代の頃の崎本さん

――大学入学以降は、小栗旬さん、生田斗真さんらと共演した人気ドラマ『花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~』への出演など、順風満帆に思える芸能活動の一方で、「私生活が相当だらしなくなってしまい、心配してくれる母の忠告にも耳を貸さなくなっていた」と著書で振り返っていました。当時は、どのような暮らしぶりだったんですか?

崎本:自分の中で「宵越しの銭は持たない」という言葉のイメージが先行していました。遊ぶ金はいくら使ってもいいと考えていたし、そんな生き方をしている俳優の先輩を見ていたので、欲に流される自分を都合よく肯定していたんだと思うんですよ。一方で、周囲に羽振りよく振る舞っている先輩への憧れもあって。「飲みに連れて行ってやるよ!」とか、周囲に還元している姿もカッコいいと思っていました。だから20代の頃は、自分もそう振る舞っていました。

 20代前半で芸能界の仕事で毎月70万~80万円ほど稼いでいたので、入ってきたお金は貯金もせずに使い切っていました。割り勘とかダサいと思っていたから、周りには必ずと言っていいほどおごっていたし、とにかく毎晩のように豪遊していました。

――20代で毎月70万~80万円もの収入があるのは、世間的に見るとだいぶ高いような気がします。それでも、当時は借金生活だったそうですね。初めは「すぐに返済すれば」と軽い気持ちで消費者金融で借りた数万円程度の借金が、いつの間にか、家族や友人からの借金やリボ払いの残高も含めて約400万円に。当時は、危機感などおぼえていたんでしょうか?

崎本:不思議なもので、日常的に借金をしているからと言って最初は「当たり前」とは思っていなかったです。当時の生活から抜けたい気持ちはあったし、後悔も多少なりともありました。ただ、徐々に確実にマヒしてくるんですよね。

 僕は、消費者金融のカードローンとか、リボ払いの残高などの借金がふくらんでいき、次第に、事務所の給料も前借りするようになって。利息は返せるけど、元本はいっこうに減らないといった状況の中で、いつの間にか「もう、しょうがないか……」と開き直っていました。