伊藤主役は監督発案ではなかった
阪本監督が伊藤を主人公にして映画を撮ると聞いたときはさすが、と思った。
間違いは誰にでもあることで、それをどうリカバリーするかが人間の価値になる。俳優をやめて別のことをするやり方もあるし、俳優を続けることでもう一度やり直していく生き方もある。伊藤の俳優としての可能性を生かすやり方を監督と本人は選択したということであろう。そしてそれはいい形に着地したように感じた。
ところが「冬薔薇」のプレスシートの監督インタビューを読むと、伊藤を主役に映画を撮ることは監督発案ではなかったとあった。そう提案されて当人に会い2時間ほど彼の話を聞いたうえで脚本に生かし映画を作った。事故の話も会うまでは週刊誌の記事くらいしか知らなかったという。逆にそういうフラットな立場の監督だから良かったのかもしれない。
「冬薔薇」は決して手放しで愉快な娯楽映画ではない。かといってめちゃめちゃ硬派な社会派ドキュメンタリーでもない。ただただ、今、日本の片隅に生きる人たちの哀しみや苦しみを見つめる純文学のような味わいのある作品である。いつしか渡口家で栽培をはじめる冬の薔薇が文学性と、寄る辺のない人たちへの想いのように感じる。
朝ドラはじめ流されていく人物を描いた作品が増加
最近、このように流されていく人物を描いた作品が増えているような気がする。
直近だと朝ドラこと連続テレビ小説「ちむどんどん」(NHK)の主人公の兄で、クズっぷりが話題のにーにーこと賢秀(竜星涼)もそのひとりであろう。借金を繰り返し、地道に働くことができない生き方が喜劇仕立てで描かれている。
この手の人間を描いた娯楽作の代表は「カイジ」シリーズが思い浮かぶ。自堕落(じだらく)に生きる若者が決死のギャンブルに挑んでいく漫画原作の映画は藤原竜也の熱演によって大ヒットした。
映画『カイジ ファイナルゲーム』公式サイトより
最大の喜劇作といったらカンヌ国際映画祭パルム・ドール賞、及びアカデミー賞を獲った「パラサイト 半地下の家族」(19年 ポン・ジュノ監督)。貧しい家族が不正をして富裕層の家庭にじょじょにパラサイトしていくと、やがて思いがけない秘密の扉が開いて猛然と悲劇に転調していく。
社会的問題を「カイジ」や「パラサイト」のような娯楽作に仕立てあげた作品のほかに「冬薔薇」のように純文学的な作品もあって、「パラサイト」の前年、カンヌ国際映画賞パルムドール賞を獲った「万引き家族」(18年 是枝裕和監督)は万引や不正をしながら生き抜く家族の暮らしぶりを、長澤まさみ主演の映画「MOTHER」(20年 大森立嗣監督)は実話をもとに浪費家の母親と彼女から離れれることのできない息子の依存関係を描いている。
どれもみな、止めるきっかけを見つけることができず、ずるずると今の暮らしを続けていく人たちの物語だ。
彼らはなぜ、止められないのか。なぜ、変わることができないのか。「冬薔薇」の伊藤健太郎の黒い瞳の奥にその答えを探して覗(のぞ)き込んでしまう。
木俣 冬 フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami
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