(本記事は、藤本さきこ氏の著書『お金の神様に可愛がられる「人づき合い」の魔法』、KADOKAWA、2018年8月22日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
【『お金の神様に可愛がられる「人づき合い」の魔法』シリーズ】
(1)「自分目線」でお金も愛も手に入るようになる
(2)「そんなつもりじゃなかった」という人は「自分の悪意」をごまかしてるだけ
(3)なぜ「ワクワクしている」のに稼げないのか?
※以下、書籍より抜粋
ワクワクしているのに稼げない理由
もっと好きなことを仕事にしたい、ワクワクしているのに稼げない——。
そこで悩む前に、「好き・ワクワク」と「稼ぐ」を切り離しましょう。「好き」と「稼ぐ」は別物です! くっつけると難しいです。
好きなことなのに、稼げなかったらダメってこと?
稼げても、好きじゃなかったらダメってこと?好きとは?仕事とは?稼ぐとは?
それぞれの設定を別々に確認しよう。
「外側」のために「内側」を決めると辛くなる
仕事とは辛いこと、我慢すること、時間や身を削るもの、という設定があると、心から好きなことを仕事にしても、だんだん苦しくなります。
「仕事とは嫌なこと」という設定があるのに、「好きを仕事に」としたら、好きなことも嫌いにならなければいけない。
逆に、好きなことで稼ぐ、とだけ限定したら、嫌いなことをしたときにお金が入ってこなくなります。
そもそも、お勤めして有給休暇があって安定していることが、じつは「好きなこと」より好きなのかもしれませんよ。
「ゆくゆくは好きなことで稼げたら嬉しいな」というのは、とてもいいと思いますが、実際になかなか実現できる人はいません。
たぶん無自覚のうちに、逆になっているのだと思います。
好き(内側)よりも稼ぐ(外側)ほうを重要視していて、「稼ぐために好きなことをしよう(=「外側」のために「内側」を決めよう)」になっている。
「内側」が満たされたら、「外側」はどうでもよくなります。
好きなことをしていたら、稼げなくてもよくないですか?
稼げなかったらやりたくないのであれば、それは好きじゃないのです。
または、稼ぐのが好きだったら稼ぐだけでいい。
そういう人は、お金が好き、拝金主義、金銭を最上のものと崇めている、と自覚して進めばいい。
私は「ザクザク稼ぐ」と決めましたが、「好きなことをやっているのが好き」という別の設定もあります。
その「好き」は、「いい気分」とか「テンションが高い」とは違います。もっとぜんぶを、いい面も悪い面も引き受ける覚悟のようなものです。
そんな好きなことがあるだけで幸せ。そこに時間とお金、エネルギーを注げることが幸せ。誰も価値を見出さなくても、私は幸せ。
自分の「満たされない」設定に気がついた
月収10万円時代も、好きなことはやっていたのです。
せっかく好きなこと(「内側」から満たされること)をしていたのに、「外側」 の「月収10万円」で、「満たされない」としていた。
本当はすでに好きなことをしていたのに、取りこぼしていた。
それを明らめたとき、「やめた! よし、ザクザク稼ぐぞ」と決めたのです。
でも、稼ぐためにどうしよう、とは考えませんでした。
仕事も変えず、だけど、とりあえず毎日の時間の中で嫌だと思っていたことをやめてみました。妊娠もしていたし、実店舗をやめ、家でできるネットショップに移行して、好きなブログを書いてばかりの毎日。
そんな風に好きなことをしていた結果、つながったのです。アフィリエイトの費用、本の印税や講演料……そんな収入、あることさえ知りませんでした。
ルートは神様におまかせしよう
私は「ルートは神様におまかせ」といつも伝えています。
それにぴったりのお話があります。
あるとき、溺れかけた人がいました。
「大丈夫、神様に助けてくれるよう願ったから、きっと船が来て助けてくれるはず」と助けを待っていましたが、船は来ず、結局溺れ死んでしまいました。
あの世で神様に「神様、なぜ助けてくれなかったのですか」と責めました。
そしたら神様は「私は何度も助けようと、木材やタイヤや、つかめそうなものを出していた。お前はつかまなかったではないか」と言ったのです。
「船が来る」というルートを決めつけていたから、この人は溺れてしまったのです。神様が出した、木材やタイヤに気づけず、取りこぼしていた。
目的は「助かって、また自分の人生を生きること」だったはずなのに、「船に助けてもらうこと」を目的にしてしまっていたのです。