30代になると、仕事におけるキャリアアップだけではなく、結婚や出産など、さまざまな選択を迫られる女性の人生。人によって、その方向性は実にさまざまです。

それだけに、自分はこのままでいいのかと、誰もが何らかの壁にぶち当たる世代であるといっても過言ではないでしょう。

『35歳からわたしが輝くために捨てるもの』(松尾たい子著、かんき出版)より、30代だからこそ知っておくべき、厳選し捨てていくという考え方をご紹介します。

捨てていくもののジャッジが重要

振り返って見ると、30代になってからが、気持ち的には一番どん底だったかもしれません。40代から先に楽しさがあるなんて微塵も想像することができませんでした。(3ページより引用)

アーティストであり、イラストレーターとして幅広く活躍している著者。もともとは、短大を卒業後、約10年もの間、自動車メーカーで勤務していたという異色の経歴を持っています。

広島に住んでいた著者は、一念発起し32歳で上京。セツ・モードセミナーに入学してイラストを学び、フリーのイラストレーターとして35歳のときにデビューします。

自分らしく生きたいと思うものの、どうすればいいのだろうと不安を抱く30代は、もしかすると多いのかもしれません。著者も、当時は同じような心境であったと語っています。

子どものころから好きだったイラストを「ちゃんと勉強したい」と思うようになったのは、30代になってからであったという著者。

安定した仕事を辞めて、東京に来てから、それまでの自分が信じられないくらい、人生が急激に変わっていったのだとか。

著者は、本著において3つのことを伝えたいといいます。1つ目は、夢を叶え、素敵な人生を送りたいと考えることに年齢制限はないということ。2つ目は、大人になればなるほど、素直になることが大事であるということ。3つ目は、大人になってからの人生において「手放し、捨てるもの」の見極めが大事であるということ。

30代は、手に入れるもの以上に、捨てていくもののジャッジが、今まで以上に重要になってくるようです。

一つずつコンプレックスを減らし、手放していくことで、人生はもっと自分らしく、軽やかになっていくのかもしれません。

「知らないと恥ずかしい」を捨てる

でも、わたしの唯一といってもいい美点だったのが、素直に「それって何?」「教えてほしい」と言えたことだと思います。(27ページより引用)

取材やインタビューを受ける際、「松尾さんはびっくりするほど素直なんですね」と言われることが多いという著者。人のアドバイスを素直に聞いて、すぐに取り入れるタイプであると自身について語ります。

30代に入ってから上京し、イラストの学校に通い始めたとき、周囲は5歳も10歳も若い人たちばかりで、クラスでも最年長であったといいます。

絵を描くこと自体は好きだったとしても、アートについて何も知らない自分。しかし、著者は、人からアドバイスをもらうたびに、素直に聞いてすぐに実践。仕事の幅は大きく広がっていきました。

そして、素直に人のアドバイスを取り入れる利点は、2つあるといいます。1つ目は、知識が増えて新しい世界を知ることができるということ。2つ目は、人から「またいろんな情報を教えてあげよう」と思ってもらえること。

誰しも、自分が教えたことをすぐに実践してくれる人には、新たな情報をまた教えてあげたいと思うものです。

自分が成長できるだけではなく、新鮮な情報が常に入ってくるという意味でも、素直に人のアドバイスを聞いていくメリットはあるといえるでしょう。

30歳を過ぎると、社会人としての知識や経験が身について、自分の考えや好みにとらわれてしまうことがあります。また、知らないと言うこと自体が恥ずかしいと感じる場面もあります。

しかし、「知らないと恥ずかしい」という自負を潔く捨てて、いつも素直に教えを乞うスタンスでいると、結果的に仕事が広がり、豊かな人生に繋がっていくのかもしれません。

残すものを見極めて幸福度を高める

数年前にブータンに行きました。ブータンは国民の幸福度が世界で最も高い「幸せの国」として知られます。そこでブータンに住んでいる人から「選択肢が多いほうが幸福度が下がる」と言う言葉を聞き、はっとしました。 (106ページより引用)

本著には、著者が考える35歳を過ぎたら捨てていくといいモノやコト、考え方が細かく紹介されています。

いろいろな「捨てる」について語る著者ですが、何を捨てるかを考えることは、何を残すかを考えることにつながるといいます。

著者がこれほどに、残すものを厳選するようになった理由の1つに、東日本大震災があったのだとか。

フリーランスとして働く著者は、拠点が1つであることにリスクを感じるようになります。大きな災害があって東京の家が無くなったら、職場も無くなり、収入源も無くすことになってしまう。

そこで、リスクを分散するために、新たに2つの拠点を構え、合計三拠点での生活をするように。すると、いかにコンパクトに身軽に暮らすかが課題になってきたのだといいます。

軸足は東京に置きつつ、後の二拠点において少数精鋭のモノだけで暮らす日々。すると、意外と不便なく過ごせることがわかったという著者。

たくさん持つことに幸せを見出していくのではなく、安心して生きていくために、残すものを見極めていく。よりよく捨てていくことで、新しい幸せの形が見えてくるのかもしれません。