結婚式は人生最大のイベント、一生の思い出に残る素敵なものにしたい。そう考える人は多いのではないでしょうか。その一方で、ゲストの選び方に頭を悩ませたり、親の希望と本人たちの希望が食い違ったりと、苦労する話も聞こえてきます。

新郎新婦の晴れ舞台のようでいて、舞台裏では昔からのしきたりや親や親族、人間関係のあれこれが絡み合う……。その背後に見え隠れするものは何なのでしょう?従来型の日本の結婚式のあり方に、問題提起してみたいと思います。

考えてみよう①:バージンロードと「娘を君にやる」問題

(写真=Yunhyok Choi/Shutterstock.com)

バージンロードを父と歩む意味

チャペルのドアが開き、お父さんと腕を組んでバージンロードをゆっくりと歩む。教会挙式の感動的なワンシーンです。バージンロードは花嫁の一生を表し、父親と歩むこれまでの人生から、新郎と歩むこれからの人生にバトンタッチするという意味があるのだそう。

結婚の許可をもらうときの定番の台詞、「娘さんを僕にください」を言う人は今はあまり多くないのでは……という気もしますが、私たちの意識の中ではまだ濃厚に、「女の子は父親から未来の夫に譲り渡されるもの」という観念が残っているのではないでしょうか。古い世代の父親たちならともかく、若いパパたちの間からも「娘を将来誰にもやりたくないなあ」みたいな心情が吐露されたりして、驚かされます。

しかし、ちょっと待って……?花嫁は父親から新郎に引き渡されるものなのでしょうか?

「娘さんを僕にください」なら、離婚で「返品は利かないぞ」?

筆者が離婚して2年ほど経った頃、とある漫画を読んでいたところ、父親が結婚の許可をもらいに来た娘の彼氏に「返品は利かないぞ」と言うシーンがあり、衝撃と共に当時の記憶がよみがえりました。筆者が結婚するとき、父親が元夫に対しまったく同じ台詞を言ったことがあるのです。

筆者の父はいかにもウィットに富んだ調子でそれを言いましたが、漫画では完全に心温まる場面のじーんとくるニュアンス。

筆者はあっという間に離婚してしまいましたが、決して元夫に「返品」されたわけではありません。自分の意思で結婚を終わらせただけです。私たちの中にはこれほどまでナチュラルに、むしろ美談風と言っていいほど、「父が娘をやる」感覚が根付いているのでしょうか。

バージンロードはなぜ素敵な感じがするのだろうか

明治民法では、戸主が家族の結婚や離婚を決めることができました。つまり結婚は、男性側の戸主=父親と女性側の戸主=父親の取り決めだったわけです。昔の結婚式では「〇〇家△△家 結婚披露宴」のように表記されることが普通でした。現在も席次や式次第に残っていますが、この風習に違和感を持つ人も多いかもしれませんね。ですが、バージンロードは感動的に見えます。

「バージンロード」という言葉はじつは、和製英語です。正しくは「ウエディングロード」または「アイル」。バージンロードという言葉の起源は定かではありませんが、どうやら高度成長期以降、日本にキリスト教式の結婚式が広まった頃に、結婚式業界で作り出された言葉のようです。

初期にキリスト教式の結婚式を選んだ家庭は、保守的ではない感覚を持つ家庭だっただろうと思います。「〇〇家△△家」式の結婚式に背を向けた人たちだったのではないかと思うのですが、父親が娘を送り出すという本質は同じです。

というよりむしろ、本質が同じだったからこそ大きな抵抗もなく受け入れられたのではないでしょうか。父と娘の関係性を変えることなく、「父娘の愛情」を表す形式に転換できたのではないか。そのように筆者は想像しています。