「ビジネスとは、金を稼ぐことではない」「世界は馬鹿げたアイディアでできている。歴史は馬鹿げたアイディアの連続」--。自伝『SHOE DOG(シュードッグ):靴にすべてを』(東洋経済新報社)がベストセラーとなっているナイキの創業者フィル・ナイトの言葉だ。

同書の原作『Shoe Dog: A Memoir by the Creator of NIKE』は米国で刊行されると、たちまち「過去を美化することなく、失敗や反省をも率直に表した飾らない自伝」「ビジネス書の域をはるかに超え、まるで映画のようにスリリング」といった評判が広がり、ビジネスパーソンにとどまらず幅広く支持された。

ナイキに代表されるいくつかのスポーツブランドは世界中で広く支持され、一大ビジネスになっている。2017年10月に刊行された日本語版も日本の経営者、起業家から支持されている。

ナイキに肩を並べるブランドと聞いて思い浮かべるのはアディダスやプーマだろう。ほかにも複数あろうが、今回はこれらの3ブランドがいかにして世界的ブランドになったかを見ていきたい(文中、敬称略)。

ナイキ オニツカタイガーの米国販売権から始まる

米国オレゴン州に本社を置くナイキ(Nike, Inc.)は、ニューヨーク証券取引所に上場している。創業者のフィル・ナイトはスタンフォード大学経営大学院を卒業後、1962年に来日。現アシックスであるオニツカタイガーの運動靴が気に入り、米国での販売権を取得する。

1964年には、かつて自らが活躍していたオレゴン大学の陸上コーチ、ビル・バウワーマンと共同でナイキの前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)を設立、オニツカタイガーのランニングシューズの輸入販売を開始したという。だがオニツカとの間に輸送や発注のトラブルが度重なったことから、BRS社は日本の総合商社である日商岩井(現・双日)からの融資を得て、自社でシューズを生産することにする。

オニツカとの提携を終了させたBRS社は1971年、最初のシューズの発売にこぎつける。そこにデザインされていたマークの「スウッシュ」は、本来「躍動感」や「スピード感」を表しているのだが、ギリシャ神話の勝利の女神である「Nike(ニーケ)」が翼を広げている姿にも似ており、シューズのブランド名は「Nike(ナイキ)」、社名も「ナイキ」に変更された。当初はメキシコの工場で生産していたが、品質の向上を目指し、オニツカタイガーとは競合関係にあった日本ゴム(現・アサヒシューズ)での生産に切り替える。

積極的な広告キャンペーンによりシェアを拡大する中、技術開発の成果として1978年には「エアソール」を搭載した「ナイキ テイルウインド」を発売。その後はバスケットボール選手のマイケル・ジョーダンをフィーチャーした「エアジョーダン」シリーズや、「ビジブルエア」の前衛的なデザインが大人気となった「エアマックス」シリーズなどのヒット商品を続出。現在ではウェアからテニスラケットなど、多様なスポーツ用品を生み出し続けている。