(本記事は、石原加受子氏の著書『「自己肯定感」の高め方~「自分に厳しい人」ほど自分を傷つける~』、ぱる出版、2018年9月22日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

【『「自己肯定感」の高め方~「自分に厳しい人」ほど自分を傷つける~』シリーズ】
(1)将来の不安を一瞬で打ち消す言葉とは?
(2)「自分が変われば周りが変わる」が間違いを起こしやすいワケ
(3)イヤな相手と少しずつ距離を置き「自分の心を優先する」方法とは?
(4)「ひどい言葉」が相手も自分も傷つけてしまうカラクリ
(5)1日なにもしなくてもよい——小さな変化から自分の自由度を取り戻す方法

※以下、書籍より抜粋

「こうでなければ」という考え方を捨てる

どこにも出かけたくない。

何もしたくない。

片づけるのが面倒。

ゴロゴロしていたい。

仕事をしたくない。

1日、自分がすべきと思っている日課の活動を何もしなかった。

食欲がない。

多くの人が、こんな自分を責めています。責めていることに気づかず、無意識のうちに責めている人もいるでしょう。

中には、気づかないどころか、自分はポジティブ人間だと思い込んでいる人もいます。

でも、自分中心の「どんな自分であってもいい」という視点から見ると、どうしてそれがいけないんだろうと思いませんか。

一度、「~であらねばならない」という考え方を捨ててみましょう。そして、前記の事柄を再チェックしてみましょう。

どこにも出かけたくない。
→そうか。じゃあ、今日は家の中でのんびり過ごそうよ。

何もしたくない。
→じゃあ、何もしない日を、1日つくってみようか。

片づけるのが面倒。
→すぐにすることなんて、ないじゃないか。

ゴロゴロしていたい。
→疲れているときは、当たり前だよ。ゴロゴロしていようよ。

仕事をしたくない。
→それくらい心が疲れているんだ。じゃあ、少し休もうよ。

1日、自分がすべきと思っている日課の活動を何もしなかった。
→そうかあ。じゃあ、ゆっくりできて、良かったね。

食欲がない。→じゃあ、無理して食べることないよ。

こんなふうに、自分にOKが出せるでしょうか。

「今日は何もしない」と決めてみる

自分を肯定できると、一般的には「~しなくてはいけない」とされることでも、「それをしなくて良かった」と思えるようになります。

さらに、「しないと決められて良かった」、「そんなふうに決められる自分が良かった」になります。

たとえば直近のことですが、私(筆者)がセミナーとカウンセリングの連続で多忙を極めていたとき、洗濯をして取り込んだ衣類を、数日間、椅子の上に置きっぱなしにしていたことがありました。

衣類によって仕舞う場所がバラバラなので、それを面倒だと感じてもいました。

パソコンで原稿を書いているときに、その衣類に目をやって、どんな気持ちになるか確かめてみました。

すると、すぐに立ち上がって仕舞うよりも、まだ、自分の仕事のほうを優先させたい、という気持ちのほうが勝っていました。

そして、自分の気持ちを尊重して、「今日は、(仕舞うのは)やめよう」と決められた自分を嬉しく思いました。

なぜなら、そう決めることで、

「ああ、まだ、洗濯物を仕舞っていない」

という意識から解放され、すっきりと仕事に専念できる、その実感を心地よく感じることができたからでした。

そんな中で、予定の作業が思いの外はかどって、ぽっかりと穴が空いたように自由な時間ができました。言葉にすれば、

「あ、まったくフリーの時間ができた」

となるのですが、実際の私は、こんな思考さえ浮かばずに自然と椅子を立ち、てきぱきと洗濯物を片づけていたのでした。

現在の私は、細かいスケジュールで動いているために、イレギュラーな時間を設ける余裕がありません。

ただし、休む時間もスケジュールの中に入っていて、そんな時間は、できる限り自分の心に寄り添えるように心がけ、「この時間は、他のことはしない」と決めています。