(本記事は、藤本さきこ氏の著書『お金の神様に可愛がられる「人づき合い」の魔法』、KADOKAWA、2018年8月22日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

【『お金の神様に可愛がられる「人づき合い」の魔法』シリーズ】
(1)「自分目線」でお金も愛も手に入るようになる
(2)「そんなつもりじゃなかった」という人は「自分の悪意」をごまかしてるだけ
(3)なぜ「ワクワクしている」のに稼げないのか?
(4)収入が爆発的に増えた「たった一つの信念」とは?

※以下、書籍より抜粋

あらゆるエネルギーは報酬に値する

起業した人や、転職活動をする人が、「料金設定できない」「希望報酬を提示できない」と悩んでいます。

これは、「料金とは」の設定が苦しいのだと思います。

私の場合、会社で扱っている商品や、「設定変更」「ノート」の考えが本当に好きなので、「自分ならこれくらい出す」「これくらい価値を感じている」「これくらい今までお金や時間、エネルギーをかけてきた」と思う基準で、セミナーなどに堂々と値段をつけています。

その価格で集客して、たとえひとりもお客様がいなかったとしたら、それは「売れなかった」ではなく、お客様が「買えなかった」「買わなかった」と考えます。

それで「なぜ買えないか?」「なぜ欲しがらないか?」を研究します。

「みんな聞いて!これ、こんなに素晴らしいんだよ」と発信にますます力が入ります。

月収や給料が自分の価値ではない

私の見解では、本人が本気で「これいい!最高」と思っていて、説得力が伴うものは絶対に売れます。すでにもう、「自分」というお客がいるわけですから。

自分の思いを届ける相手は、今の自分の頭の中で知っている範囲を超えて知らない土地、知らない国にもたくさんいます。どんどん広げてみましょう。

布ナプキンも10年前とは比べものにならないほど普及しました。「布ナプキン以外ありえない」という人も、当たり前にいる社会になりました。

お勤めの方も、たとえばお給料が20万円だとして、その20万円が自分の価値ではないです。金額=自分の価値とすると、稼げなくなったら自分の価値が下がることになります。

あるいは、もっと稼ぐ人はもっと価値があることになってしまいます。

お金がたくさんあるほうが、私には「好み」ですが、私の価値とはなんにも関係はない。

では、やっぱり、お金をもらわなくてもいいのか。

私はそうは思いません。あらゆるエネルギーは報酬に値します。これは現世界のデフォルトです。

労働はもちろん、育児、家事などの結婚・共同生活のすべて、あらゆるエネルギーは報酬に値します。

いちいち相手から報酬を受け取らないだけであって、無償の愛が「報酬に値しない」「価値がない」のではありません。

もうひとつ付け加えると、報酬は即時、その場で得るとは限りません。

人生を通したときに、ある件ではそんな稼げなかったかもしれないけど、違うところで爆発することもあります。

自分も関われたこと、経験したこと、それだけでいい。

どんな結果も次の経験につなげられるのなら、それでいい。

目の前のお金に、目をくらませないで?

人づき合いの魔法は「自分への安心感」

私は、他人からの評価や基準は関係なく、常に自分が満たされるように「今すぐ勝手に自分で幸せになる」と決めた結果、収入が爆発的に増え、会社もうまく回り、パートナーともますますうまくいくようになりました。

他人目線で自分を見て、どれだけ幸せに見えるか?

どれだけ正しいか?
 
どれだけ勝っているか?

それ(外側)を基準に生きても、苦しいだけ。

私も昔はそういう設定だったので、それに合わない自分を責めていました。

地位や名声、肩書きがなくては。収入が多くなくては。

結婚していなければ。「あなたは幸せ」と誰からも太鼓判を押される(「外側」の)条件が揃っていなければ。

これらを克服しなくては「幸せ」になれないと思っていました。

勝手に幸せになるだけでいい

でも、決めたのです。

誰の評価がなくてもいい、何の条件もなくていい。常識的にどんなに「不幸者扱い」されようが、勝手に「私は幸せである」「満たされていよう」と決めた。「内側」で常に幸せで在る、と決めた。それが自分への安心感です。

それから私も、他人目線の「外側」で人を見ることがなくなりました。

この世に、正誤はありません。あるのは、個々人の「好み」だけです。

「外側」の地位や名声、収入も、結婚も、好みだったら求めればいいし、好みじゃなければ求めなくていい。

それを自分の「常識」「設定」に照らして、勝手に勝てるところを見つけたり、勝手に勝ちたがったりするのは、仕事でもプライベートでも支障になります。

特に仕事やお金がからむと、「勝たせてあげる」という勝ち方もあるからやっかいです。

ゴマすり、すり寄り。これも自分が気持ちいいところを探しているだけで、上から目線の、一種のマウンティングです。