(本記事は、中央線総合研究会の著書『中央線格差』宝島社、2018年3月29日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

【関連記事 『中央線格差』より】
(1)なぜ、大都会「新宿」は中央線沿線の人たちを魅了するのか?
(2)都心の住まいに9000万円も支払う「公立小移民」とは何者か?
(3)お金持ちが多く住む「中央線の駅」ランキング 3位「中野」、2位「阿佐ケ谷」、1位は……

新宿駅を挟んで異なる顔を持つ中央線

新宿駅の1日の平均乗車人員は約76万人だが、これはJR東日本だけの数値である。京王電鉄、小田急電鉄、東京メトロ、東京都交通局(都営地下鉄)の数値を合算すると、1日あたりの乗降人員は約347万人に達する。これは日本だけでなく世界でもナンバー1を誇る。

しかし、1885年に日本鉄道の駅として開業した当初は、1日あたりの乗車人員は50人に満たない小さい駅だった。江戸時代の新宿には内藤新宿という甲州街道の宿場が置かれ、これが「新宿」の地名の由来にもなった。内藤新宿は大変賑やかな場所だったが、鉄道駅である新宿駅は宿場の外れに置かれた。そのため、開業当初の新宿駅は利用客の少ないさびしい駅だった。

新宿駅は山手線や京王線、小田急線など、さまざまな路線が乗り入れている。しかし、新宿はいわゆる「中央線カルチャー」の発信拠点でもあった。三善里沙子氏の『中央線なヒト』(ブロンズ新社・2000年)には、次のように記されている。

「中央線の隠れた特徴は、新宿を境にまったく性格が違うこと。はっきり言えば、新宿以東と新宿以西では、まるで相反する性格を持っているのが、興味深いところです」

「この街(新宿)はなかなかのクセモノで、大日本帝国の生産ライン型(新宿以東)の実力と、"中央線"の摩訶不思議なパワーの両方を持った、まさに分岐点、怪獣のような力を秘めた存在」

東京~新宿間は、都心の大動脈である山手線が走るエリート中のエリート路線だ。沿線にあたる千代田区や文京区は、東京23区の中でも格の違いを見せつけている。賃貸家賃相場や1m2あたりの沿線地価平均、マンション価格相場などは軒並み東京~新宿間の駅が上位を占めている。

しかし、新宿は日本を代表する大都会でありながら、どこか庶民的な雰囲気を漂わせている。その根底にあるのは、終戦後に新宿で開設された闇市だ。日用雑貨や食料を売る露店が現れ、混沌と無秩序が支配する時代が続いた。やがて、もつ焼き屋や焼き鳥屋が出始めたが、これが新宿西口に今もある「思い出横丁」のルーツになった。

その後、闇市は姿を消し、代わりにマルイや京王、小田急といった百貨店が出始めた。戦前に開店した伊勢丹本店は、今も新宿の買い物文化の中枢を担っている。1933年築のゴシック風の建築物は、新宿を象徴する建物のひとつである。

進化を遂げる一方で、学生運動やベトナム反戦運動、ヒッピー文化、フォーク集会など、新宿は当時の若者たちが持て余したエネルギーを爆発させる場所でもあった。こうした流れが西へ西へと伝わり、中央線のカルチャー形成につながった。

当時の新宿の雰囲気を残す建物や店は減り、大型映画館のミラノ座や新宿コマ劇場も姿を消した。しかし、昔ながらの喫茶店や洋食屋も残っており、"昭和の新宿"を感じ取ることができる。