人とは違う、自分もいい。
My Life「私たちの選択」
結婚する? 子どもを持つ? 仕事はどうする? 現代女性の人生は、選択の連続。そこで本特集では、自分らしく生きる女性たちの「選択ヒストリー」と「ワークライフ」を紹介します
いつか子どもは欲しいけれど、育休でブランクをつくるのは怖い。出産を経て職場に復帰した後もやりがいのある仕事はしたいけれど、それは実現できるのか……。
そんな不安を抱えている人に知ってほしいのが、子育てと両立しながら日本初の女子プロサッカーリーグ・WEリーグで活躍中の岩清水梓さんの生き方だ。
2011年のFIFA女子ワールドカップドイツ大会で優勝し、翌年のロンドン五輪では銀メダルを獲得。
なでしこリーグでは実に13度もベストイレブンに輝く、正真正銘のトップアスリート。
そんな彼女は今、2歳になるわが子を育てながら活躍を続ける日本初の「ママプロWEリーガー」となった。
結婚、出産を前に引退する女性アスリートが多い中で、彼女はなぜ今の生き方を選び、かなえることができたのだろうか。
「結婚したら引退するもの」だと思い込んでいた
これまで日本の女子サッカー界では、30歳前後で引退する人が多かった。
岩清水さんも20代前半の頃は、子育てをしながらアスリートを続ける自分の姿を思い描けなかったという。

「20代の頃に一緒にプレーしていた先輩方は、引退されてから結婚・出産するという感じで、出産して戻ってきたのは私が知る限りたった一人でした。
だから、私も結婚したら引退するのかなってなんとなく考えていたんですよ。
今思えば、狭い世界にいて『それが当然』と思い込まされていただけなんでしょうけど。
ただ、当時もアメリカ代表にはママさん選手が何人かいて、お子さんが練習や試合を見に来ていることがありました。それを見て、すてきな光景だなとは思っていたんですよね」
30歳を過ぎて自分の選手生命について真剣に考え始めた頃、「子どもや家族を持ちたい」という気持ちも大きくなっていった。
そして、2019年の秋に岩清水さんは結婚を発表。その直後に妊娠も判明した。
「ちょうどチームも優勝したので、ここが変化の時なのかなって。率直に引退しようと思いました。
ちょうどリーグ戦を戦っている時期だったのですが、『この大会で終わり(引退)なのかな』くらいの気持ちでしたね」

引退に大きく気持ちが傾きかけていた。しかし状況は一転。現役を続ける決心をした。
きっかけは母の言葉。
「やってみればいいじゃない」という後押しが、当時の岩清水さんの心に突き刺さった。
「母から『宮本(ともみ)さんもやっていたんだから、あなたもやってみればいいじゃない』って言われてハッとして。サッカーと子育てを両立できるかどうか、その時点では全く分からなかったんですが、その言葉でチャレンジする方にシフトして、180度思考が変わりました」

元サッカー選手の宮本ともみさんは、2005年5月に長男を出産し、06年11月に現役復帰。日本代表の合宿時には息子を連れ、参加したこともあった。
練習中はベビーシッターが息子さんの面倒を見て、昼食をとるときやお風呂は一緒。その合宿に参加していた岩清水さんは、その光景をふと思い出した。
「私にもできるかも」
覚悟を決め、出産、子育てと現役復帰にチャレンジしたいと素直な気持ちをチームに伝えた。
岩清水さんは数多くの国際大会で結果を残し、国内屈指のセンターバックとして活躍してきたクラブにとっても欠かせない存在。彼女の出産がクラブにどれだけ大きな影響を及ぼすかは容易に予想がつく。
「出産前後、最大限のサポートで自分を支えてくれたクラブ、スタッフ、そしてチームメートには、本当に感謝しかありません」
妊娠中のトレーニングも産後の子育ても「全て試行錯誤」
妊娠中は体に負荷をかけすぎないトレーニングを中心に行い、産後なるべく早くアスリートの体へ戻すことを意識した。

「トレーニングはすべて試行錯誤でした。何しろ、同じ経験をしている人が身近にいないから、何が良くて何がダメなのかも分からない。
臨月の頃は起き上がるのも歩くもの大変で、トレーニングどころか歩くこともままならないし。その頃はずっとソファに埋もれていましたね(笑)」
月を追うごとに変化していく自分の体。かつては90分間グラウンドを走り回っていたのに、まともに体を動かすこともままならない。
本当に自分はグラウンドに戻れるのか。そんな不安も募った。
32時間に及ぶ難産の末、20年3月に待望の長男が誕生。初めての出産、子育ては手探り状態で、またもや分からないことばかり。岩清水さんも毎日必死だった。
「産後2カ月くらいまでは、全くサッカーのことが頭に入ってきませんでした。授乳で夜もまともに寝られなかったし、体力も精神力もすべて母親業に持っていかれましたね」
ただ、どんなに育児が大変でも、子育てと仕事(サッカー)の両立を諦めようとは思わなかった。
「両立すると宣言した以上、絶対やりたいと思いました。それに、新しいことにチャレンジしたいという気持ちも強かった。
自分がこのチャレンジをやりとげることは、サッカー界にも価値があることだと思ったんです」