【プロフィール】安保尚子さん
幼少期をロンドンやニューヨークで過ごし、帰国後上智大学に進学。大学卒業後は大手広告代理店での勤務を経て、通訳学校で研鑽を積み、フリーランス通訳者としてデビュー。今まで約30年にわたり、数々の国際会議や美術館のアーティストトーク、ビジネス会議など様々な分野でご活躍。2008年からは上智大学で講師も務める。

下手の横好き〜継続は力なり
(画像=『HiCareer』より引用)

工藤:安保さんにインタビューを受けていただけるなんて本当に夢のようです。私は安保さんと同じ年なんです。今日はよろしくお願いします。まず安保さんと英語の出会いから教えてください。

安保:父の転勤で海外の小学校に行ったのが初めての英語の接点でした。小学校2年生の終わりから2年ぐらいのサイクルで日本と海外を行ったり来たりするような生活でした。ロンドンとニューヨークの2都市でトータル6年過ごし、高校1年生の秋に帰国しました。当時はまだ帰国子女が少なかったのを覚えています。両親は私の帰国後のことを心配して、海外では全日制日本人学校に1年間通い、その後コネチカット州にある現地高校に入学し親元を離れて寄宿舎に入りました。

工藤:帰国後ご苦労されたことはありますか?

安保:帰国後は設立されたばかりの国際基督教大学(ICU)高校に通いました。当時を振り返ってみると自分の中でアイデンティティロスはあったと思います。小さい頃に海外へ行ってやっと慣れたと思ったら帰国し、日本の小学校の規律正しい生活に慣れるのにも苦労して、その繰り返しでした。ただ今にして思えば、中学校の時に1年だけでも全日制日本人学校を選んで良かったと思っています。

工藤:大学は日本で上智大学に進学され、卒業後広告代理店に就職されていらっしゃるんですね。当時はマスコミが就職先としては花形だったのを覚えています。

安保:人と文化に関わる仕事が好きだったので、広告代理店を選びましが、最初の研修はお客様のお茶出しとテレックスの打ち方(笑)でした。英検1級を持っているというのが珍しいと言われた時代です。海外との買収案件や企業と企業のM&Aに従事する特別セクションに配属され、役員秘書の特別枠というポジションでした。異文化に興味がある私にとって、本来広告代理店でやりたかったことではなく、3年勤務して社内結婚で退職しました。

工藤:私も新卒で総合商社に入社しましたが、まだ男女雇用機会均等法の前ですよね。ほとんどの女性が結婚退職し、女性が会社の中でキャリアを積んでいく時代ではありませんでした。ご結婚後通訳学校に通われていますが、どのようなきっかけだったのでしょうか?

下手の横好き〜継続は力なり
(画像=『HiCareer』より引用)

安保:ニューヨーク時代からの幼なじみの友人がICU大学の斎藤美津子先生の助手を務めていたのですが、「暇なら手伝ってよ」と言われて、お手伝いをするようになりました。プリント物を配布したり、受講生が書き起こした英語音声を確認したりとか、雑用でした。当時斎藤先生はICU大学と通訳学校で教えていらっしゃいましたが、「あなた勉強しに来なさい」と先生に言われて通訳学校に行くことにしました。

工藤:斎藤先生は厳しかったですか?

安保:斎藤先生の教育方針は基本的にライオンの子供を谷から落とすというようなものでした。要するに全員落として這い上がってきた子だけ、「だけ」とは言いませんが、這い上がって来るのを待っているというような厳しさがありました。3日間の夏季講習を2回受けて、いきなり「あなた仕事行ってらっしゃい」と言われました。「先生できません。私まだ無理です」って言ったら、「誰もが最初は新人よ。とりあえず行ってらっしゃい。行って帰ってくるだけでいいから」と言われました。その仕事が筑波大学の学術会議での同時通訳でした。

工藤:最初の仕事が学術会議の同時通訳ですか!結果はどうでしたか?

安保:「interdisciplinary」、「学際的」という言葉すら知らない中でいきなり先輩と組みました。ガチガチに緊張して何を準備していいかもわかりませんでした。事前資料はほとんどなく、スタート前に読み原稿を渡されました。これを読みますって言われても、どこからどう手をつけていいのかわかりませんでした(笑)。今考えてもパートナーには相当迷惑をかけたと思います。

工藤:一つだけ斎藤先生で思い出があります。先生が手配した通訳者にクライアントからクレームが入ったそうです。その時先生はクライアントに「あなたに通訳者の何が分かるの?」とそのクレームを跳ね返されたそうです。全力で通訳者を守る方だったと思います。斎藤先生との出会いが通訳者を目指すきっかけだったんですね。

安保:決してみんなを切り捨てていくという性格ではなく、授業は基本的に励ましながらでした。「こうじゃないでしょう」ではなく「「ここできたからよかったじゃない」っていうスタイルでした。「生まれてすぐ通訳ができる人はいません。みんなで頑張っていきましょう」とおっしゃっていました。しばらくするとまた「行ってらっしゃい」と言われて現場に出されて、相当お客様には迷惑かけたと思います。でも先生はいつも何も言わずに迎えてくださいました。仕事を通して現場の大変さを知りました。そして人と言葉で繋がることのおもしろさも教えていただきました。当時の日本は輸入促進で、ブースが何百も立つようなイベントがあり、毎年通訳が一つのイベントだけで300人単位で必要だったという時代でした。通訳者が足りなかった時代で、チャレンジして経験を積む機会もたくさんありました。

工藤:安保さんはお子さんがいらっしゃいますよね?お仕事との両立はどのようにされたのでしょうか?

安保: 25歳になる娘がいます。悪阻もなかったので、出産の1ヶ月前まで仕事をし、2ヶ月ぐらいお休みしてすぐに復帰しました。両立は大変な時もありましたが、仕事が面白く育児のことを一旦忘れて没頭することで息抜きしていました。主人と母のサポートも助かりました。私はインハウスの経験はなく、最初からフリーランスでしが、時代が良かったんだと思います。当時は仕事がたくさんあり、斎藤先生の英断のもとに、右も左もわからないよちよち歩きの私でも経験を積むことができました。

工藤:安保さんの勉強法を教えてください。

安保:特別な勉強をするというより、毎回仕事の資料を中心に手を抜かずに準備しています。育児で大変な時は自分の睡眠時間を削って勉強しました。通訳の面白さや醍醐味がちょうどわかりかけた時で面白くて、身体もエネルギーに溢れていました。

工藤:最初から難しい現場に入られて、その後も素晴らしい実績を積んでいらっしゃいますが、好きな分野はどの分野ですか?

安保:一番を挙げるとしたら御社からご依頼いただいている美術関係です。とにかく難しくて、まだ自分に合格点をあげられる日はありません。基本的なことかもしれませんが、通訳に入る前に必ず作品を見せてもらっています。実際に拝見すると圧倒的なパワーを感じます。現代美術は詳しくないのですが、作品に込められている意味がわかると心に響くものがあります。概念的でどんな言葉が出るか予想できず、毎回決まった訳語がないところが難しいのですが、同時に通訳の醍醐味を楽しんでいます。毎回コーディネーターの方が資料を頑張って集めてくださいますが、それをどれだけやればどれだけできるかというのが全くわからない感じです。積み上げ式には知識が全く蓄積できない会議ですね。(笑)

下手の横好き〜継続は力なり
(画像=『HiCareer』より引用)

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