連載:「私の未来」の見つけ方
生き方も、働き方も、多様な選択肢が広がる時代。何でも自由に選べるって素敵だけど、自分らしい選択はどうすればできるもの? 働く女性たちが「私らしい未来」を見つけるまでのストーリーをお届けします

都内の大学病院で働く産婦人科医・高橋怜奈さんは、世界初の“女医ボクサー”だ。医師として働くかたわら、30歳でボクシングのプロテストを受け、ライセンスを取得した。

ボクシングには怪我のリスクが付き物。実際にボクシング関係者からは「医者なんだから、何かあったら大変だからボクシングはやめておいた方がいい」と言われたこともあったという。

それでも高橋さんは「迷いなく挑戦することを決めた」と振り返る。なぜなら人生は一度きりだから。

やりたいことに軽やかにチャレンジする高橋さんの、「自分らしい生き方」の根底にある思いをたどる。

【Profile】
高橋怜奈さん
東邦大学医療センター大橋病院・産婦人科在籍。女医+(じょいぷらす)所属。2016年6月にボクシングのプロテストに合格し、世界初の女医ボクサーとして活躍したのち2021年10月に引退。現在は医師と平行し、SNSを中心に女性の体や検診やワクチンの重要性などについて啓蒙活動を行う Twitter:@renatkhsh

ボクシングが「産婦人科医としての初心」を思い出させてくれた

産婦人科医として働き始めて6年が経ち、30歳を迎えた時に、ボクシングのライセンスを取得しました。

それから約5年間、世界初の“女医ボクサー”として活動。2021年10月にプロは引退しましたが、今も趣味でボクシングを続けています。

格闘技未経験だった私がボクシングを始めたきっかけは、友人の誘いで観戦したボクシングの試合。元世界チャンピオンの内山高志選手の試合を見たのですが、もう本当にかっこよくて。

ちょうど産婦人科の仕事にも余裕が生まれた時期だったので、「この選手がいるジムに入りたい!」と、すぐに入会しました。

だから最初は彼の追っかけ半分、ボクシングをやってみたいのが半分っていう感じでしたね(笑)

実際に女医ボクサーとして活動を始めると、珍しさから興味を持ってくれる人が増えました。

【高橋怜奈】産婦人科医・ボクサー・YouTuber…「やりたいことは全部やる」医師が選んだ後悔しない生き方
(画像=『Woman type』より引用)

取材を受ける機会も増えて、結果的に医師として伝えたい自分の思いを“病院の外にいる人”にまで広く届けられるようになった実感があって。

実は、私が産婦人科医を志したのは、「検診の重要性」や「女性の体についての正しい知識」を世の中に啓蒙していきたいと思ったからだったんです。

うちは父も母も医療に関わる仕事をしていたので、私にとって医療の道を目指すこと自体は自然なことでした。

そこから産婦人科の分野を選んだのは、研修医として産婦人科で働いていた時に知った、一人の患者さんの存在がきっかけです。

彼女は当時、私と同じ20代にもかかわらず、子宮頸がんが全身に転移していて末期状態。婦人科の定期検診を受けたことはなく、気づいた時には体調が悪化し、余命幾ばくもないことを宣告されました。

【高橋怜奈】産婦人科医・ボクサー・YouTuber…「やりたいことは全部やる」医師が選んだ後悔しない生き方
(画像=※画像はイメージです、『Woman type』より引用)

私自身は生理痛が重かったので、子宮頸がん検診の対象となる20歳から定期的に検診を受けていたのですが、もしも生理痛がない体質だったら「検診を受けよう」と思っていなかったかもしれません。

末期状態の彼女も知識さえあれば、定期検診にさえ行っていれば、違う未来があったのかもしれない。もっと言えば、HPVワクチン(※)を打っていれば、子宮頸がんにはならなかった可能性が高い。

※HPVワクチン:子宮頸(けい)がんの原因となるヒトパピローマウイルス(HPV)の感染を防ぐワクチン

そんな現実を目の当たりにして、「産婦人科医になって女性たちに正しい知識を伝えたい」と思ったんです。

ただ、産婦人科で働いていた20代の頃は、仕事が忙し過ぎて目の前の妊産婦の方や患者さんに対応するのでいっぱいいっぱいになってしまって……。もともとやりたかった知識の啓蒙を行うところまで頭が回りませんでした。

そんな中で、自分がなぜ産婦人科医になったのか、もともとやりたかったことは何だったのか、初心を思い出すきっかけを与えてくれたのが、ボクシングだったんです。