お疲れ様です!たけもこです。

さくマガで月イチの連載が始まり、早一年…。

ついに今回で最終回となります。しみじみ。

最後は大胆に「働く」そのものをテーマに、最近考えていることについて書きます。

人は何のために働くのか

今年の4月で入社3年目を迎えました。ついでに副業歴も3年目に突入です。

あっという間に流れる月日の中で、つくづく思うのは「成長」も棚卸をしなければならないこと。

2年間まるっと生きていると、何となく成長した感じがします。ここでさらに「何が、どう、いつ、成長したのか」を丁寧に言語化することで、自分の哲学が構築されていくと思うのです。

私がこの1年で大きく変わった哲学のテーマは「何のために働くのか」。

どう変化したのかについて、とある本に沿って棚卸させてください。

田坂広志氏による『仕事の思想 なぜ我々は働くのか』という本をご存知でしょうか。私がはじめて読んだのはちょうど1年前、つまり社会人2年目に突入した頃です。

「人は何のために働くのか」を考える。仕事の報酬は、成長である
(画像=『さくマガ』より引用)

この本を手に取った理由が「人は何のために働くのだろう」という疑問であったことを、鮮明に覚えています。

就活生のときから「やりたいことがわからない」と嘆いていて、1年働いてみても見えてこなかったことに焦りを覚えたのです。

学生の頃より触れ合う人の数が増え、その分、キラキラと情熱をもって仕事に取り組んでいる方とお話しする機会も増えました。刺激的であると同時に、「自分の情熱はここまでキラキラしていない……」と感じてしまい、とても不安でした。

「不安は原因不明な状態から起きる」

と思っているので、不安なときはすぐに調べる癖のある私が当時出会った本が『仕事の思想 なぜ我々は働くのか』でした。

はじめて読んだときに強く印象に残っていたのは、第二話の「成長/決して失われることのない報酬」と題された章。そして3年目に突入した今読み返しても、やっぱり印象深いのがこの章でした。

この第二話とは「仕事の報酬とは何か」をテーマに書かれた章です。「仕事の報酬」について考えていくお話なのですが、最初に見えてくるのが、

「仕事の報酬は、給料である」

このような世界だといわれています。給料という報酬を超えて見えてくるのが、

「仕事の報酬は、能力である」

さらにこの世界を経ると見えてくるのが、

「仕事の報酬は、仕事である」

そして最後に見えてくるのが、

「仕事の報酬は、成長である」

という世界なのだ、と紐解かれていきます。

先ほど、はじめてこの本を手に取った理由を「人は何のために働くのだろう」と思っていたから、と記載しました。

実は1年の時を経て、改めてこの本を手に取った理由も同じです。

ただ前回とは違って、「人は何のために働くのか」の答えについて仮説を持っていました。「仮説」という言葉がしっくりこないので別の表現をすると、「哲学の卵」といったところです。

「誰かを幸せにするために働く」

これが、最近私が温めている哲学の卵です。

どこかで聞いたことがあるフレーズですよね。分かります。

正直にいうと、私は今まで多くの人が使う「他人を笑顔にするために働いています!」という言葉を、すんなり受け入れることができませんでした。

「他人のため、といいつつ自分のためなんでしょ」

このようなひねくれが、どうにもあったからです。

結局このひねくれも、あながち間違いではないと思うのですが、温める価値のある卵だと思うようになったきっかけがありました。

誰のための仕事だったのだろう

以前、とあるメディアに出演する案件をいただいたときのことです。

時間こそかかったものの順調に進み、依頼元の担当者も素敵な人ばかりで楽しい仕事でした。すべての撮影が終わって帰宅後ベッドインすると、なぜかとてつもない虚無感が私を襲いました。

「誰のための仕事だったのだろう」

という疑問が頭をよぎったのです。そして答えが「自分のためである」ことに気づき、さらに虚無は強まりました。

しいていえば、家族や友人、日頃応援してくれている方々は喜んでくれるかもしれない、とも思いつつ、消化しきれない感覚がありました。

「もしも”自分のため”に仕事をし続けたら、どれだけお金をもらっても幸せにはならないのだろうな」

ぼんやりと、しかしハッキリと実感した瞬間でもありました。

この瞬間こそが私にとっての「成長」です。

あのとき感じた虚無感は、今となっては決してネガティブな感情ではなく、成長のための警鐘だったのだと思います。

さきほどの気づきを逆説的に考えた結果、生まれたのが「誰かを幸せにするために働く」という哲学の卵です。