「ったく、あんた一体なにがわかんないのさ」
ワクワクしながら、買ったばかりのパソコンを自室の机に設置する。
しかし、さっそく困ってしまった。携帯電話のように電源を入れたらすぐ使えると思っていたのに、なにやら設定が必要らしい。説明書を見てもちんぷんかんぷんだ。
そうだ、カスタマーサポートに電話しよう。保証書に記載されている番号に電話をかけると、年配の男性が出た。
「はい、もしもし?」
「あの、ダイエーでパソコンを購入したんですが、設定がわからなくて……」
「ふーん。型番は?」
あきらかにコールセンターではない。この電話はどこに繋がってしまったのだろう?
私が戸惑っていると、男性はタメ口の北海道弁で矢継ぎ早に質問してきた。しかし、聞いたこともないカタカナ言葉ばかりでなにもわからない。
「わかりません」と答えるたび、その人はわざとらしいため息をつく。苛立ちが膨れ上がっていくのが電話越しに伝わってきた。怖いし、自分がものすごいアホの子みたいで恥ずかしい。心臓がバクバクして、手が震えた。
「ったく、あんた一体なにがわかんないのさ。なに聞きたくて電話してきたの?」
そんなこと言われたって、なにがわからないのか私にもわからない。
答えあぐねていると、相手は電話の向こうで声を張り上げた。
「おーい、誰か電話代わってくれやー。なんもわからんねーちゃんで話にならん」
その瞬間、頭が真っ白になった。気づけば私は
「わかんないから電話してんだろーが、このクソジジイ!!!」
と大声で怒鳴り、電話を切っていた。
……なんてことだろう。
ワイドショーでは「キレる若者」と取り沙汰される世代だが、キレるなんて自分とは無縁だと思っていた。なのに、こんなふうに人に怒鳴ってしまうなんて。雑な対応をされたこと以上に、自分がキレてしまったことがショックだった。
私の大声に、階下にいた母が「なにごと?」と部屋にやってくる。事情を話すと、案の定こってり怒られた。
念願のインターネットを始めたものの……
その後、私はネット回線を手に入れ、ようやく憧れのインターネット生活が始まった。
しかし、やってみるとあまり楽しくない。楽しみ方がわからないのだ。今と違ってSNSも動画コンテンツもなく、どのサイトを見たらいいのかわからないし、なにを閲覧してもそこまでハマれない。
ドラマの堂本剛のように知らない人と交流してみたかったが、その方法もわからない。たぶん、掲示板とかチャットとかいろいろあったとは思うが、検索技術がなさすぎて情報にたどり着けなかった。
唯一、伝説のテキストサイト『侍魂』は読んでいた。当時好きだった男の子が「面白い」と言っていたからだ。しかし、その恋が終わるととたんに興味を失った。
だんだんと、調べもの以外でネットをしなくなった。あれだけ大騒ぎしてネットを導入したのにすぐに飽きるなんて、スノボやギターの二の舞じゃないか。自分でも呆れる。
ただ、wordで文章を書くことは続けていたから、かろうじて9万円の元は取れたと思う。
その2年後、私は進学のため実家を離れた。
デスクトップパソコンは実家に置いていき、新たな相棒としてノートパソコンを購入。時代や環境の変化もあり、新しいノートパソコンではネットを存分に楽しんだ。
はじめて買ったあのパソコンを、いつどのように処分したかは覚えていない。
残念ながら、私にとって愛着のある品ではなかった。あのパソコンのことを思い出すと、知らない人に怒鳴ってしまった苦い記憶がよみがえるから。
なにもわからない人に説明するのは大変
先日思いがけず、あのときの電話を思い出した。
とある日曜のこと。母から電話が来て、実家のパソコンがおかしくなったと言う。私が買ったあのパソコンではなく、数年前に父が買ったものだ。
「おかしくなったって、具体的にはどんなふうに?」
「なんか変な文字が出て消えないの」
機械音痴の母の話はまったく要領を得ず、状況を把握できない。パソコンの画面をビデオ通話で見せてもらうと、インターネットエクスプローラーを最新バージョンに更新せよとのポップアップ通知が出ていた。
「お母さん、インターネットエクスプローラー使ってるの?」
「なあに、それ」
「えーと、ブラウザはなにを使ってるの?」
「ブラウザってなによ」
あぁ、なにもわからない人に説明するのって大変だな。あのとき電話の向こうで苛立っていた男性の気持ちが、少しわかった。
しかし、私はなにもわからない側の気持ちも知っている。わからない人に苛立ったところで、誰も幸せにならない。
私は努めて穏やかに指示を出した。時間はかかったが、母は無事にインターネットエクスプローラーを最新バージョンに更新し、「直った!」と喜んでいた。壊れていたわけじゃないんだけどね……。
キレる若者だった私もずいぶん丸くなったものだ。今ならクソジジイなんて言いません。本当にごめんなさい。
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