先日、株価が爆上がりして30年ぶりの高値をつけたとき、誰かが口にした「バブル期以来みたいですねー」という言葉きっかけで、20代30代の若手社員とバブルの話になった。僕は、「バブルって皆が浮かれていたアホみたいな時代ですよね」とちょっとバカにされて、悲しい気持ちになってしまった。

ウィキペディアによれば、バブル期は1986年12月から1991年2月までの約4年間らしい。それは僕の中学高校、思春期の4年間とちょうど合致する。13才から16才までの多感な4年間に、「バブルで狂乱するリッチで楽しい大人像」を刷り込まれてきた。憧れたのだ。だから僕は社会人としてバブルの恩恵はまったく受けていないのに、憧れを否定されたようで、悲しい気持ちになってしまったのだ。

現在、民放の23時台の番組といえば、女性キャスターが顔のニュース番組だ。だが1986年~1991年当時は11PM(「秘湯の旅」のうさぎちゃんが楽しみだった)、その後継者であるEXテレビ、トゥナイトといった、大人の情報番組が放送されていた。

前半は社会問題やカルチャーを一応、真面目に取り上げていた記憶があるけれども、番組後半はだいたい肌色かピンク色の内容であった。晋也監督のコーナーなんか今放送したら、様々な立場や考えをした人たちから集中砲火で大爆発しているだろう。良い時代でした。

僕が少年時代を過ごしたバブルの6年間は、そういう大人の番組から「バブルって最高だぜ」「大人のナイトライフは楽しい」と聞かされ続けてきたのだ。お立ち台のボディコンを着た荒木師匠の向こうに、自分の明るい将来を見ても仕方がないだろう。

ところがそううまくはいかなかった。

バブルが弾け就職氷河期到来

残念ながらバブルは弾けた。僕が大学に通っているあいだにバブルの余熱は冷めていき、卒業する頃にはキンキンに冷え切っていた。就職戦線も厳しく、当時、新卒で流れに乗れなかった仲間たちのいくらかは、今でも浮上できずにいる。バブルで楽しんでいない年代がバブルの後始末をさせられた、という怨念は今でも消えない。

社会人になって、思春期の憧れフィルターを外して冷静に見ると、バブルという時代はろくでもなかった。たまたまうまくいっていただけで、実態がなかった経済や商売も、80年代から続くライトな感じがさらに薄まってウルトラライトになったカルチャーも、ごく一部を除けば、まあ酷いものであった。

酷いモノを一つひとつ挙げていくと、僕より上の世代のご自分ではトンガっていると思っておられる自称クリエイティブな人たちを敵に回してしまうので、しない。皆さまのご想像にお任せする。

ハラスメントは当たり前で、持てはやされていた「アッシー」や「メッシー」は、高校生の僕でも何が楽しいかさっぱりわからなかったし、それを持て囃している人たちは軒並み低能としか思わなかったけれど、今の時代なら炎上ではすまなかっただろう。景気が良くて、皆が豊かで、派手でピカピカ、この栄華はしばらく続くと誰もが信じていたので、細かいことはどうでもオッケーになっていたのだ。能天気な時代だった。

やっとの思いで、社会人になってみると、先輩たちはバブルを通過した人、バブル期に入社した人たちばかりで、「バブルの頃は深夜まで働いた」「これくらいの仕事量でへばっているの?」と過去の栄光を背景に、キツイことを言われた。

先輩たちは、取り立てて能力が高いわけではなかったけれども、実績があったのは事実なので、話を聞くしかなかった。先輩たちからは、それはもう厳しい指導を受けた。営業という仕事だったので、炎天下の飛び込み営業、連日連夜の接待、接待のない日の飲みにケーション。今振り返ってみると無意味なものも多かったし、時間と労力をかけて仕事をこなそうという低クオリティの働きかただった。

学ぶことは皆無だったが、仕事の現場においては、実績が何ものにも勝る。それがバブルというブーストで達成された実績であっても最強なのだ。だが、一緒に働いているとイヤでも能力は見えてくる。

バブル期組の中で、バブルがはじけたあとも数字を残していたごく一部の先輩は高い能力を持っていたが(彼らは軒並み出世した)、それ以外のほとんどの先輩は(彼らは軒並み失脚した)、「う~ん」と首をひねってしまう人が多かった。たいした苦労もせず、能力も求められずに実績を上げ続けられれば、いい素材でも劣化してしまう。それは仕方がない。そういう意味では、彼らもまたバブルの犠牲者だった。