筆者の個人的な解釈なのですが、清少納言が最初の夫・橘則光と離婚したのは、やはり彼女の「志」が影響しているのですが、史実における離婚理由は、清少納言の藤原道長という男への嫌悪だったのではないか……と思われるのですね。

 天元4年(981年)、清少納言は橘則光と結婚し、則長という息子も授かっていましたが、早い時期に離婚しています。一説に橘則光が無粋な男だったので別れたともいうのですが、実際は、清少納言は彼が道長の部下のひとりであることがどうしても嫌で、距離を置くしかなかったのではないか、と想像されます。史実の道長は、すでにお気に入りの部下を試験に合格させるために、試験官を拉致監禁するなど相当な事件をいくつも起こしていました。

 また、そのうち詳しくお話することもあるでしょうが、史実の道長は正義の味方どころか、気に食わない人物がいれば、自分の手は汚さず、腹心の部下を使って拉致監禁したり、ひどい場合は殺しても平気というかなりダーティな人物でした。