また前回は、わが娘の定子(高畑充希さん)を「(一条天皇の)中宮になしたてまつる」と道隆が宣言し、ほかの公卿たちから反発を買っていました。

 しかし、一条天皇と仲が良い定子を、「天皇の正室」である中宮にすることがなぜそんなにマズかったのか。「前例がない」というドラマ内の説明だけではよくわからなかったかもしれません。

 中宮が「天皇の正室」という意味で使われるようになったのは、10世紀後半くらいからです。もともと「中宮」が「三后(さんこう、または、さんごう)」――太皇太后、皇太后、皇后という3人の天皇の正妃の総称だった時期もあるのですが、わが国で使われるようになったのは、8世紀の聖武天皇の御代だとされています。

 その当時、“天皇の生母だが皇后の位を授けられていない女性”を「皇太夫人(こうたいふじん)」と呼びましたが、その別称が「中宮」でした。しかし、平安時代初期の醍醐天皇の御代以降、それに該当する女性はおらず、いつしか中宮=皇后という意味になっていたのですね。もちろん、皇后=中宮なので、ひとりの女性のことを指しています。