■2004年 第4回大会
前年の敗者復活で名を挙げたアンタッチャブルが当時の歴代最高得点673点を叩き出し、初の関東コンビの優勝となった。『M-1』開始当初は東京に大会で通用するレベルの漫才師が数えるほどしかいないと運営側から困惑の声も聞こえたが、開催からわずか4年で関西の漫才師たちをブチ抜いていった痛快な大会だった。
・紳助さんも松本さんもいない
『M-1』史上初めて島田紳助と松本人志が欠席している。紳助はこの年の10月に吉本の女性マネジャーに暴行したとかで活動自粛中、松本は、公には浜田雅功の『ジャンクSPORTS』(フジテレビ系)との裏かぶり避けと発言しているが、紳助の自粛についてゴニャゴニャあったのではないかともいわれている。
大会の最重要人物2人が不在となったわけだが、今田の安定したMCもあって、大会自体の雰囲気が大きく変わるといったこともなかった。
・関西弁が3組しかいない
アンタッチャブルの優勝に加え、この年、関西弁で漫才をするコンビは、千鳥、麒麟、笑い飯の3組のみ。残りの6組が標準語という逆転現象が初めて起こった年でもある。中でもPOISON GIRL BANDの登場は「新しい東京の笑い」を決定的に印象付けることになり、多くの後進を生んだ。
・南海キャンディーズという衝撃
史上初の男女コンビとしてファイナルに進出してきた南海キャンディーズが抜群のインパクトを残した。誰も見たことのないビジュアル、体格バランス、ワードツッコミ、なんかオシャレなスカーフ、そのすべてが新鮮に映り、しずちゃんが「火を怖がるサイ」になった瞬間、笑いが爆発した。後に、南海キャンディーズの直前に登場したトータルテンボスは「俺たちがやりたかったことをやられた」と、その勢いに舌を巻いていた。
(文=新越谷ノリヲ/【2005-2007】に続く)