■2002年 第2回大会

2番手のますだおかだが612点でトップに立つと、5番手のフットボールアワーが621点で逆転。6番手の笑い飯が567点で続き、3組の最終決戦へ。5票を獲得したますだおかだに軍配が上がり、増田英彦は大粒の涙を流した。

・ますだおかだについてのあれこれ

前年の第1回から出場しているますだおかだは松竹芸能の所属。吉本興業が中心となって立ち上げた『M-1』に当初、松竹側は所属漫才師の参加をためらったが、ますだおかだは「M-1に出られないなら松竹を辞める」と言って事務所側に出場を直談判したという。

そのますだおかだについて、第1回をラストイヤーで制した中川家と、その同期の海原やすよ ともこがたびたび「先輩やのに第2回に出てた」と言っているが、何を言っているのかよくわからない。

・談志師匠、怖すぎ

黄色のマフラーをぐるぐる巻きにして、めっぽう厚着で初登場した立川談志。紹介時からニコリともせず、実に不機嫌である。

初審査コメントとなった1番手のハリガネロックに対しては「いやあもうプロだから、いいんじゃないですか?」と仏頂面のままベタボメ(?)。その後もネタ中に何度かカメラに抜かれるが、まったく笑っていない。

そして4番手のテツandトモのネタ後に、事件は起こる。70点と、談志にしては高得点を入れていたが、コメントを求められると「おまえらここに出てくるやつじゃないよ、もういいよ」と一刀両断。会場の空気が凍り付く。テツの長い顔が歪んでいる。続いて「ホメてんだぜ、わかってるよな」とテツandトモを指さすものの、赤ジャージと青ジャージの2人はどう見てもわかってない顔で笑みを浮かべるしかなかった。

実際、テツandトモの2人は漫才から演芸に活動の場を移し、このとき披露した「なんでだろう」を毎年バージョンアップさせながら活躍し続けている。

ちなみに談志は敗者復活のスピードワゴンに最低点である50点を献上。「うーん、悪かったなぁ、悪かったよ」と、こちらは火の玉ストレートのコメントだった。怖い。