・審査員が怖い、スタジオが暗い

松本人志もまだ38歳。今のジャルジャルより若い年齢である。ラジオ番組『放送室』がスタートした年といえば、どれだけ若かったかわかるだろう。

当然、現役感ビンビンでトガり散らかしており、他の審査員も含めて緊張感が漂っている。出場者同士も現在のような仲間意識は皆無で、中川家・礼二によれば、終了後すぐに審査員にダメ出しされ、打ち上げも敗者が出席するような雰囲気ではなかったという。

当時の『M-1』を指して「50点が連発していた」ともよく語られるが、実際、松本人志がチュートリアルに50点、島田紳助がおぎはやぎに50点を入れている。怖い。

・麒麟枠

当時まったくの無名だった麒麟が決勝に進出。ここから数年、ダークホースを指して「麒麟枠」と呼ばれるようになる。松本が麒麟に自己最高の75点(自己最高で75点ですよ!)を入れて支持したが、得点は伸び悩んだ。このときの松本の「僕は今まででいちばんよかったですねえ、なんとかならないんですかねえ」という言葉が、翌年の麒麟にとって大きなプレッシャーとなることに。

・おぎやはぎ9票事件

審査員7名に加えて、札幌、大阪、福岡の各会場で100票が満票の一般投票が実施されたが、おぎやはぎの大阪票が9票しか入らず、スタジオを混乱に陥れた。当時東京を拠点としていたDonDokoDonにも大阪票は18票しか入らず、露骨に関西拠点の芸人に有利な結果が出たことで、一般投票の採用はこの年だけで打ち切られている。