だが、ミステリーにはお約束事がある。誰が見ても100%真犯人と思われる人間は、犯人ではないのだ。

 では、誰が紀州のドン・ファンを殺したのか? 熱心なミステリーファンならずともページを繰る手が止まらなくなるはずである。

 実際に起きた紀州のドン・ファン殺人事件をミステリー小説風に仕立てると、このようになるのかもしれない。

 だが、事実は小説より奇なり。

 事件から3年が経った2021年4月に殺人罪などで須藤が逮捕された。起訴された須藤早紀被告の裁判員裁判の初公判が9月12日に和歌山地裁で始まった。

 だが、検察側は驚くことに、冒頭陳述で、「須藤被告が莫大な遺産を得るために、覚せい剤を使った『完全犯罪』で野崎を殺した」と主張したのである。

 私も長いこと雑誌屋をやっているが、検察側が被告に対して「完全犯罪」という言葉を使ったのを知らない。

 もちろん須藤の自白は得られず、物的証拠となる覚醒剤を被告が所持していたという事実もない。あるのは状況証拠だけである。

 続いて被告の弁護士が、こう述べたのは当然である。

「『あやしいから、やっているに違いない。もしそう思ってしまうなら結論が決まり、この裁判をやる意味はありません』
 野崎さんは3月下旬に離婚届を被告に送ったが、その後は一緒に田辺市に転入届を出し、一時は同居するなど、結婚生活の実態はあったと主張した。
 その上で、『そもそも野崎さんの死は殺人事件なのか』『被告が犯人なのか』が争点だと指摘。
『被告が人を殺す量(の覚醒剤)をのませることができたのか』といった点について、検察側が裁判で立証できたかを判断してほしい、と訴えた」(朝日新聞9月13日付)
 疑わしきは罰せず。裁判の基本中の基ではあるが、それが守られないために多くの冤罪が起きてきた。それを裁判員たちは忘れてはいけない。
 判決が12月12日というのも気になる。早すぎないか。それとも検察側が持ち駒がないので、『心証真っ黒』だけで判決をもらおうとしているのではないかと疑いたくなる。
 新婚だった妻を、保険金欲しさに殺し屋を雇って殺させたという容疑で逮捕された三浦和義「疑惑の銃弾」事件を思い出す。
 あれも、三浦が妻殺しを殺し屋に頼んだという証拠も物証もなく、世論に押されて逮捕したが、状況証拠だけしかなく、最高裁までいったが、この件では「無罪」が確定した。
 今週の文春は、須藤被告の弁護側が「夫婦の性生活」にも言及したことを報じている。
「高齢の野崎さんは性的機能が不全の状態でした。何度も須藤さんと性交渉をしようとしましたが、勃起せず、挿入できません。それが三月下旬から四月下旬まで続きました。夫婦の交わりは、一度もありませんでした」