優木まおみ発言に見る「生存者バイアス」とは?

 例えば、会社にパワハラ上司がいて、そのターゲットとなった部下が自殺してしまったとする。そんな時、パワハラはあったのか、あったとすればどんなものだったのかと、会社は自殺した人の周辺を調査するだろう。

 しかし、同僚からは「自分にもパワハラまがいのことはあったかもしれないけれど、自分はあまり気にしなかった」とか「自分はパワハラではなく、叱咤激励と受け止めていた」と上司を擁護するような答えばかりが集まり、結果、パワハラ上司はお咎めなしになることは珍しくないのだ。

 これは、部下が上司に気を使っていることもあるが(上司の非をあげつらうようなことを言って、それがバレた場合、自分の立場が危うい)、自殺を選択するしかないほどの強いパワハラに直面していない人に話を聞いているからではないか。

 上司のパワハラに本気で悩んだ場合、たいていの人は会社を辞める。なので、実際に辞めた人に話を聞けば、パワハラの具体的なエピソードが出てくるだろう。しかし、今、会社にいる人は、深刻なパワハラ被害に遭っていないから、会社を辞めないで勤め続けているとみることができる。

 そういう「大丈夫だった人」に話を聞いたなら、何人に聞いても明確なパワハラエピソードは出てこない。その結果、「パワハラというほどのことはなかった」と矮小化され、場合によっては「自殺した人のメンタルが弱かった」と個人の責任にされてしまう。このような“人選ミス”によって生まれる思い込みを、心理学では「生存者バイアス」と呼んでいる。

 優木の「芸能界に20年以上いるのに、松本のモラハラ、パワハラというような悪評を聞いたことがない」というのも、典型的な生存者バイアスのように思える。