ハリウッドの大スター、ジョージ・クルーニーはどんな人生を送ってきたのでしょうか。この記事では、ジョージ・クルーニーの半生を若い頃から現在に至るまで時系列順に振り返ります。ジョージ・クルーニーの代表的な出演作やプライベートの情報などもまとめますので、ジョージ・クルーニーについて詳しく知りたい方は要チェックです。
ジョージ・クルーニーのプロフィール
ジョージ・クルーニーはアメリカ・ケンタッキー州レキシントン出身の俳優です。1961年05月06日生まれの牡牛座で、身長は179cmです。1994年から99年にかけて放送されたテレビドラマ『ER緊急救命室』に出演したことで人気に火がつきました。
その後、2000年には『オー・ブラザー!』、2001年には『オーシャンズ11』などの出演作がヒットを記録し、今ではアメリカ映画界を牽引するスター俳優となったほか、映画監督・映画プロデューサーとしても活躍しています。
スティーブン・ソダーバーグと共にプロダクション「セクション8」を設立し、『コンフェッション』で映画監督を初めて経験し、『エデンの彼方に』『オーシャンズ12』では制作を手がけることとなりました。
さらに平和活動や社会貢献活動にも注力しており、ダルフール紛争をめぐる会談をオバマ大統領と行ったこともあるほどです。なお、ジョージ・クルーニーの叔母は歌手・女優のローズマリー・クルーニーです。
ジョージ・クルーニー若い頃から現在【10代・20代】
ジョージ・クルーニーは、若い頃から現在に至るまでどのように過ごしてきたのでしょうか。また、それぞれの時期にはどんな出来事があったのでしょうか。
ここからは、ジョージ・クルーニーの軌跡を辿るべく、順にその人生について見ていきましょう。まずは10代と20代の頃からです。
ジョージ・クルーニーの幼少期・青年期
ジョージ・クルーニーは、幼少期には父の仕事の関係上引っ越すことが多かったようです。概ね幸せな幼少期を送った彼ですが、青年になるにつれて悩むことが増えたと言います。
彼の父はテレビの司会者をしており、父に連れられて幼い時からテレビ局についていくことがあったというジョージ・クルーニーは、自然芸能界に興味を持つようになりました。5歳の時には、父のプロデュースする番組に出たこともあるようです。
しかし中学の頃になると、自身の才能に悩みストレスを抱えることとなり、顔面神経が麻痺する病気にかかり、9ヶ月かけて全治させます。彼はこの時のことを振り返り、「どんなこともユーモアを忘れなければ乗り越えられる」としています。
学生時代はバスケットボールと野球に熱中していたジョージ・クルーニーは、16歳の頃プロ野球チームの入団テストを受けて落ちてしまいます。しかし、プロ球団のテストを受けることを考えるほどの高い実力を持っていたようです。
その後大学では放送ジャーナリズムを専攻しましたが、ニュースキャスターとして名を馳せる父と比べられるのが嫌で、自身に才能がないと感じた彼は退学を選びます。
テレビドラマ『遥かなる西部』でエキストラ出演
ジョージ・クルーニーは、1978年のまだ学生だった頃にテレビドラマ『遥かなる西部』にエキストラ出演しています。この時がジョージ・クルーニーの役者としてのスタートとなりました。それからテレビドラマに単発出演したり映画の端役をしたりと、10年以上も芽の出ない時期を過ごします。
この頃は役者の仕事だけでは食べていけなかったため、紳士服の営業や煙草の歯を刻む仕事などを併行していたようです。そんなジョージ・クルーニーが初めてギャラを手にすることになったのは、1983年のCM出演でのことでした。
このCMは日本の電機メーカー『パイオニア』のもので、パーソナル無線機・フライングパーティを宣伝する内容の広告でした。
『ハイスクールはゾンビテリア』で映画デビュー
ジョージ・クルーニーがスクリーンデビューしたのは、彼が26歳の時のことでした。作品は1987年の映画『ハイスクールはゾンビテリア』です。未解決殺人事件が起こった高校を舞台にしたB級コメディーホラー映画で、ジョージ・クルーニーは若手俳優の役を演じています。